性犯罪・性的表現・ジェンダーに関しての様々の問題について

元ライターでもあった国内外ロビイストからの視点

仮に絶やすべき遺伝子があるとすれば、それは「ブサイク」ではなく性暴力容認する遺伝子です

あるテレビ番組の一場面が発端とした議論。
それは、あるテレビ番組にて顔面格差社会を巡って「ブサイクの遺伝子は自分で絶やす」発言についてです。

色々な意味で深刻であると再認識させられる発言であると思っています。
特に日本においては、婚姻相手を顔で選んでいる人が多いことから一瞬の人種差別にもつながっていると考えられてきましたが、その差別される側が自分から遺伝子を自ら絶やすというのは自殺願望に近く似た感情であり、とても悲しい気持ちにもなります。

一方で顔が良い人達が選ばれているということですが、そういった人達の方が性犯罪・性暴力の対象にされやすいリスクも負っているケースも多くあります。
よって、美人だから必ずしもプラスとは限りませんが、だからといってブサイクだからまったく性犯罪被害がないとは言い切れることでもありません。
それに生まれた時に将来どういう顔になってしまうか通常においては遺伝子で決定されているようなものであり、それに関しては責任を取るべき人間はいないと思います。

ただ、絶やすべき遺伝子があるとすれば、それは不細工かどうかは全く関係なく、性犯罪や性暴力を容認するような遺伝子であることは間違いないでしょう。
性犯罪や性暴力が容認されるような事態があり、そういった被害を守るために子孫を残くしたくないという意思を持っている人もいます。
はっきり言えば、本来子孫を残すべきではないのは性暴力を容認するような人たちのことであり、その人達のせいで優秀な遺伝子を残すことを断念せざるを得ない状況に追い込まれ、結果的に性暴力容認派の子孫がはこびる、という事態はとんでもないことでもあります。
日本もこれから先、性暴力に対する厳罰化も行っていくことになりますが、極論をいえば性暴力容認をするような集団の遺伝子こそが根絶やしにして、性暴力を行わず、被害を受けない人達が後世を残せるようにしていかなければなりません。
勿論、いかなる性交も性暴力である以上、現状の子孫繁栄できる方法を、性交を伴わずにできるようにする技術と、
遺伝子操作等を行なうことにより、社会が望まれる体力・知力等を持たせることのできる技術が実用化できるようにしなければならない前提もあります。