性犯罪・性的表現・ジェンダーに関しての様々の問題について

元ライターでもあった国内外ロビイストからの視点

性教育は今後どうあるべきか

性犯罪に対して厳しくすべきと推進している方たちにも様々な意見も見受けられます。
その中で大きくふたつの意見に分けられます。


ひとつは、学校教育上の中で性に関するリテラシーをきちんと学ばせようという意見で、簡単に言えば、それを学ばせることによって安易に性行為をすることがいけないと青少年に学ばせることができると主張されています。
しかし、この教育にはデメリットがあり、学ばせたことによってかえって性行為をしようと考える人が出てくる懸念があることやこのことで性犯罪を生む可能性があるとこれに異を唱える方もいます。


そこで、そういった方達が、主張するもうひとつの意見は、青少年には一切「性」について、いかなるものであっても、触れさせないようにした上で、社会的によい思考や能力を持ち、経済的にも問題なく生活できると判定され、婚姻などが認められると判断された場合にのみ許可された人が出産に必要な知識のみをはじめて学ばせるべきというものです。
「性」について知る人が限定されれば前者のような「青少年のときにリテラシーを学ばせる」という意見以上に性犯罪をおきにくくすると主張されています。
人間の三大欲求の中でもっとも邪欲であると定義しなければならないのが「性」というものであり、扱いを間違えれば、望まれない性交で出産される子供がまともに教育されないことや虐待が起きるなどの問題のほか、それが増加する事による人口問題をはじめとした様々な環境問題を生むなど、極端な話をすれば国際社会全体をも揺るがしかねない事態も起こることも否定はできません。


少なくともまず私達が徹底しなければならないことがあります。
いまや誰もがインターネットに触れる今、様々なことが可視化されるようになりました。
そのことで、見知らぬ人との交流が盛んになり、さらには青少年でも今まで以上に性表現に触れるようになってしまったことです。
当然今のように性犯罪をはじめとしてSNSを通じてのトラブルも多発していますし、それ以上に明らかになっていない性被害も生み出していることも明らかです。
ブロッキングや性表現に対する規制をすすめていますが、まだ十分とはいえないのも明らかです。


さらなる規制ができるような青少年健全育成法や175条や児童ポルノ法の改正も当然求められていたり、カナダなど一部国で採用されているような成人が見知らぬ未成年とのコミュニケーションをとることそのものの違法化が望まれたりしていますが、それと同時に既に動き出している次の行動もあります。
それは、性に対するいかなる事柄を、性犯罪防止のための必要な主張(さまざまな法人や団体が行っているものやそれに関連したり賛同するブログ)を除いて、社会科学的な論考や批評の対象として扱うことをまずインターネット上で行うことを一切認めさせないことです。
本来、性風俗についてもあってはならないもののひとつであって、さらには「性文化」と呼び、性に関することを文化と認めること自体もおかしいことです。


そうした性について表現や言論を含めあふれている情報に関しては性犯罪やそれに類似する迷惑行為を少しでも助長すると判断されるべき内容はすべてインターネット上から完全に排除されなければならないと考えられています。
そうした取り組みは既に一部大手検索サイトが独自に実行段階に入っていますが、これらは最終的に国際社会や様々な国が官民一体となって取り組むことが求められることになるでしょう。