性犯罪・性的表現・ジェンダーに関しての様々の問題について

元ライターでもあった国内外ロビイストからの視点

成人・大人について考えましょう

今日は成人の日です。
実際のところは昨日成人式が行われていたところが多数ありまして、日本国内では今年は少なくとも約120万人以上が「成人」として祝われました。

しかし、「成人」になった人達のどれだけが本当の意味で「大人」と呼べる人達でしょうか?
毎年言われてきていることですが、成人式上で迷惑行為をして暴れる人達やお酒を飲んで暴れ、例年成人を迎えた後に逮捕歴を作る人達が必ずと言っていいほど現れています。
そしてそういった人達というのは「大人」が何であるかを誤解し、自由奔放に暴れていいものと考えてしまう人が一定の数存在します。
またこれとは別に最近では反政権的な親がその子孫にも反政権であるようにさせ、ISのような過激思想をもたらすことによってその結果、先鋭化した人達によって成人式などでテロをも引き起こされるのではないかと世界でも懸念が広がりつつあります。

「成人」について考えるべきは他にもあります。
20歳を超えてもアニメや漫画やゲームばかりやその他退廃的な娯楽に手を出すような人達が数多く存在しており、中にそれをし続けるために保護者のスネをかじりながら、悪質なところは生活保護制度などを悪用しながら生活しているような家庭も存在しているわけで、こういった人達もまた大人と呼ぶには相応しいとも思えません。
これを放置すれば80代になってもある戦艦もののゲームやアイドルを育てるようなゲーム、果ては性暴力表現のあるゲームをやっている人というのがこれからも現れ、さらにはそれでこれも「表現として守ろう」ということを言い出すような人を増やすことになるのかもしれません。

ただしこれらはこれからの規制次第では今の若い世代が80代になるまでなくすような社会を実現すればそれを防ぐことができるのではないかと考えてます。
そしてそれは国が行っていくというよりは国に言われる前に良識ある業界がそれを実践させるよう実行させることが重要です。

正しい社会に貢献してこそ「大人」と呼ぶべきことで、いつまでもただ20歳になれば誰でも大人になったと認めるというのは改めるべきではないでしょうか。18歳を成人にしようという動きもありますが、単に年齢を引き下げたり、または逆に引き上げたりするのではなく、本当に大人として呼んでよいのかというのは様々なチェックを行い、それではじめて大人としてふさわしいと認められた時にだけ、成人と認めるような社会にすべきではないかと考えています。